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FILM MAKER TAKESHI IKEDA
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2006年07月01日(土) 光を越えて

週末遅くに着いたシエナ。
街の中心に向かうバスもまばらで、
歩いて中心まで行くことにした。

この時期パリオで有名なこの街。
そんなことはつゆ知らず、
ウクライナ戦に興じる人々の歓声がこだまする夜道をよそに、
坂道を上っていた。

こんなときに一つ星の古くさい宿すらとれず、
半ば覚悟はしていたが野宿することにした。
イタリア勝利に熱狂するサポーターを背に、
夢と現実の間のベンチをさまよっていた。

夜明け前、街の様子を撮るため散歩をする。
夕べの喧騒がウソのように静まり返っている。
中心のカンポ広場にはパリオのコースが作られていた。


あてどもない行き先


テッラコッタの工房があるのは、
バスで30分くらいのサンタロッコという郊外の街。
自分が行くべき場所がいったいどこなのか、
詳細な情報など持ち合わせていやしない。
あるのは簡単な住所と電話番号のみ。

朝食もとらず、体の重さと機材の重さとで、
二重の重さを肩に歩く。
とにかく見つけ出すべきは工房。
一抹の不安とともにバスに乗る。

降りるべき停留所もわからないのに当てずっぽうで降りてみる。
周りはトスカーナ特有のなだらかな平原が広がっている。
サンタロッコはちょっとした高台に位置しているようで、
眼下には美しい景観が広がる。

そこからどこへ向かえばいいのか?
右も左もわからない。
住所を頼りにしても、
地域地図すら持ちあわせていなければ探しようもない。


自然の摂理


サンタロッコの工房に電話する。
「ボンジョルノ」
一年以上前に電話したときと同じ声が聞こえてくる。
何も変わらない挨拶、空気、やりとり。
一年ぐらいでは変わるものなど何もない。

人々の習慣、街並、笑顔、社会。
数年経っただけでは何の変化も進化もわからない。

何かを変えよう。
良くしよう。

などとという合理性や要領の良さはない。
返せば古い昔からの生活や文化がいまでも息づいている。
それは人間本来の生き方に近い。

あやしげな予感のしていた空が、
モノの見事に予想を裏切られ、
意識にすり込まれるほど激しく照りつける光。
木や建物のない道幅のある一本道を歩き続ける。

時おり風の音が耳元でささやく。
それは何か励ましの言葉をかけているかのよう。
ちょっとした安らぎが駆け抜けていく。


視界良好


道すがら、車内で誰かを待ちながら、
話をしているオッサンに住所のメモ紙を見せ尋ねる。
「この先まだ1kmだ」

ずり落ちるメガネ。
振り返ると道に黒い斑点が並んでいる。
遠くに見えるかげろうとともに消えていく。

空を見上げれば昼に向かって晴れ渡る青空。
雲一つない快晴の向こうに見える太陽。

朝の涼しさの中に顔を見せ、
昼の明るさを演出する。
そして夜は見えないながらもその動きを止めない。

太陽は季節ごとにその姿を変えるものの、
規則正しい動きは変わらない。
クレモナにはいまだに日時計があったりもするが、
太古の昔から人々の習慣は太陽を基準にしていた。

イタリア人たちの挨拶、しゃべり、叫び、集まり。
いまもかつても変わらないであろうもの。
世紀を超えて、国を越えて、
変わるものも変わらないものも見続けている。

この光の向こう側には、
もう一つ僕が見続けてきた世界が広がっている。

国道のような幅の通り。
日陰を見つけることのできない日射しの下、
空を見上げる余裕もない。
体に残る鉛には目もくれないよう、
ただ前を急ぎながら考えふけるようにしていた。

足で稼ぐ


たった一年、いやそれ以下のスパンで帰国したとしても、
街並はめまぐるしく変わっている極東の街。
数年ぶりに戻れば「これは本当に僕がいたことのある街並なのか?」

時空を超えて各々の生活習慣を見守っている。
昔ながらの伝統を崩さず、
落ち着いていまを一生懸命楽しんで生きる保守的な感覚。
目まぐるしく移り変わる人々の趣向。
それによって時代が刻々と刻まれる世界。

何が人の幸せを決めるのかはわからない。
優しさや愛があるのか?
新鮮さや刺激があるのか?

光はすべての人を見て、
すべての動きを見て、
すべてをわかっている。
何が起きているのか?


何もなかった通りの先に見つけたガソリンスタンド。
そこにある売店も、街中にあるバールと何ら変わることがない。
僕も自分のスタイルを変えることなく、
挨拶をしてパニーノと水を手にした。

車のない、自分の足だけがたよりの男一人。
日陰に座りパニーノを口にすると、
目的の看板が目に入ってきた。


入場自由


人の気配を感じない工房に足を踏み入れる。
僕は一人で建物の中をくまなく見て回る。
作品が外にも中にも壁にまで、
あらゆるところに展示されている。

そのうち客らしき人が訪れてくる。
軽く挨拶を交わすと、
店の人間の影を感じる。
自由に出入りができ、警戒感のない人々。

多くの人がいるわけではない。
何の気なしに人が立ち寄るところでもない。
旅の途中、息抜きにくるか、
目的を持っている外国人が来たりする。

自分が「欲しい」と願うモノ、
いいものを見つけ出し、
そのために足を運ぶ。

急いで間に合わせろ


モノとスピードがあふれ返っている中、
本当にいいと言えるものはなんなのか?
見つけ出すのは困難なことかもしれない。

昔を懐かしむ余裕すら与えてもらえない。
いまの自分を振り返る瞬間すら抹殺されている。

お互いがお互いを見つめ合うだなんて、
遠い昔の習慣として切り捨ててもいいものなのだろうか?

人が相対しているのは人ではない。
バーチャルであって呼吸ではない。
息ではない。

ぬくもりや暖かさでもなければ優しさでもない。
怒りや悲しみなどの感情でもない。
楽に生きられる方がいいに決まっている。

何かに取り憑かれたように見えない何かを追い求める。
それがホントに自分の、人々の求めているモノなのか?
そんなこと考えるスキすらなく、前を見続ける。
激走を止めることもなく、
走り続けている。


自分でかたどる想い


人の心の中にある、
変わるものと変わらないもの。
自分にとって必要なものと、そうでないもの。
その価値判断をすることほど
迷わすものは世の中にあるだろうか?

走りをやめない僕の思想。
それが正しいことだなんて、
誰も認めない。

それでも変わることなく僕を出迎える、
イタリア人の挨拶。

ここまで来ておきながら、
思い描いていた目的にたどり着くこともなく、
サンタロッコをあとにした。




この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。

ウクライナ戦 - Siena 1

どこで降りる? - Siena 2

無心に帰れるとき - Santa Rocco 1

隠し撮り失敗 - Santa Rocco 2




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