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2005年05月27日(金) 自分のルーツを見た旅

2年ぶりに日本に来て、自分の育った街を歩いていた。
この街を出たのは、この街に染まりきった自分ではいたくなかったから。
新しい自分に出会いたかったから。
埋もれていってしまうのではなく、何かができるはずの自分を試したかった。
飛躍できると思っていた。

日本を飛び出したのは、自分が自分でなくなっていってしまう気がしたから。
母国のはずなのに息苦しさだけを感じ、いいところを見ることができず、
すべてに憤りを感じていたから。

日本へはいまでも戻りたいとは思っていない。
日本とは異なる現実を目にして、体で受け止められるレベルまで大きくなり感じていたい。

スピード狂想曲


東京のすみにある小さな街で 22年育った。
子供の頃に歩いていた道を一歩一歩踏みしめながら歩いていた。
下町の風情のある場所でも東京であることには変わりなく、
街並は僕のいないうちにすっかりと進化を遂げていた。

建物に変化の兆しなど感じられないヨーロッパを見ていれば、
大陸の違いはあれど、バックグラウンドによって人の生活も変わってくるものだと、
つくづく考えさせられるものである。
古い伝統を受け継いでいく文化は変わらないはずなのに、
時代の移り変わりの早さにあまり翻弄されないイタリアの職人達に触れていた僕は、
日本の職人文化の廃れ方が恐ろしいと思った。

そんな日本でありながら、街を歩きながら感じたのは、
意外とこの街も捨てたもんじゃなかった、ということ。
足下を見て歩いてなかったとでもいうのか?

近代的な伝統の踏襲


イタリアにはコンビニなど存在しない。
東急ハンズや量販店などという便利な買い物スポットなどもない。
スーパーはあるものの、靴修理屋、クリーニング、銀細工店、ジェラテリア、鍵屋、
そういった個人商店が所狭しと存在し、そちらの方が日常的であったりする。
リュータイオももちろんそうだが、
イドラウリコ (配管工) という単語も存在するほど、職人としての地位も確立されている。

かたや日本。
牛丼屋,天丼屋、そば屋、カレー屋なども存在するが、
ファーストフードであることがほとんどで、逆に言えばそれは便利さの象徴でもある。

そして僕の街。
魚屋、八百屋、靴屋、雑貨屋、和菓子屋、米屋、焼き鳥屋、和服店、花屋、
玩具店、日曜大工、花屋、豆腐屋、時計屋、絨毯屋、お茶屋、製麺店・・・・
いったい何キロに及ぶのかわからないが、街をいくつもまたいで商店街が続いている。
しかも各々バッティングしまくっているのだから恐ろしいものである。
例えていえばサザエさんに出てきそうな商店街だろうか。
海外に出たからこそ、この光景に気がつくことができたようにも思う。

僕は遠く離れた土地に自分の育った街を見ていたのかもしれない。
豆腐屋の奥に見えた豆腐の型に、人の匂いを感じた。
カモリで見たパン屋の仕込みの姿を思い出した。


一つの表現方法


そして日本を象徴する食の寿司。
この街には寿司屋が何件も並んでいるが、何の因果かそのうちの一件が僕の実家である。
父は決して自分を職人だとはいわないが、はたから見たられっきとした職人技である。

固いシャリの寿司パックをスーパーで買って自宅で食べたり、
寿司ロボットなどというものでにぎりずしが出てきたりするような、
そんな時代に人間が自らその場で創り商品として提供する。

米を炊き、シャリを創る。
築地で卸したネタをさばき、年を重ねた手で対峙する。
何をして職人というかはわからないが、極めて人間的な作業である。

その背中を見て育った僕ではあるが、決して後を追いたいとは思わなかった。
僕とは表現方法が違っていたからである。
衣食住というくらい食は生活に密着したものであるが、
映画などなくても生きられる。

映画は日常では味わえない感動を味わえる。
食は日常的な感動である。
生活に溶け込んで直接人に対して感動を与えるもの。
それが親父の選んだもの。

いまこうして職人の映画を撮っている、
そんな自分のルーツとなるものを取り上げるのも面白かろうと、
店の中でもカメラをまわした。
突拍子もないことでおろおろする親のそのままをおさめた。

心ある人間が手にしている、
寿司に込めた想いが伝わったときに夢が完成する。




コメント

■自分のルーツを見た旅

物想いにふけっていて、ふと考えたことをしるしました。
いま自分がやっていることは、もともと決まっていたことなんじゃないかと、そんな気がしたりもします。
何か仕組まれていたような、
それとも決まっていたレールを知らず知らずのうちに歩んでいるのか?
いずれにしても僕の心の奥に眠っているものを吐き出そうとしている。
僕には人生を通して答えを出すべきストーリーがあるんだろうと思います。
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池田 剛 2005/07/09 07:36

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