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2006年04月23日(日) 犬とジェラート

広大な海に旅立ってゆく漁師たち。
彼らはこの海の向こう側に何を見るのだろうか?

砂利だらけのボッカダッセの海岸。
つきぬけるように広がる澄んだ世界。
数えることなどバカバカしくなるような喧騒と沈黙。
土地によって色を変える水。

日常を洗い流す波の白。
生活をにおわせる緑。
照り返しの強い深い青。
自然に振り回された茶。

同じ海でもここまでその様相を変えることができる。
そんな柔軟さの反面、
石を突き通すほどの頑なな強さも宿る。

自分を飲み込んでしまうような相手との対峙。
いや彼らはきっと共存することを望んでいるはず。
水の強さ、優しさ、そして広大さ。
そんなすべてを兼ね備えているであろう漁師。

僕なんぞにはわからない、
海にいる彼らだけがわかる現実。
言葉など通じない、沈黙の中の深いところにあるもの。
それがなんなのか。

沈黙の中のすれ違い


いつものように変わることなく、
捕ってきた魚をその場で量り売りする。
カメラを手にしている僕など目にすることもない。
好意的であるはずもなければ敵対しているわけでもない。
誰が責めるでもなく、そこには僕と漁師が在る。

常に危険と隣り合わせ。
ちっぽけな世界だけで生きている人間にはわからないもの。

彼らに近づくためにはどうしたらいいのだろうか?
純粋に自分をそこに投じてみたい。
そんなことを言ったところで彼らに伝わるはずがない。

両者にかけられた平行線を、
どうすれば折れ曲がらせることができるだろうか?

いかにして自分の想いを伝えるべきだろうか?
それは人間にとって極めて根源的な問いかけである。
表現するモノは相手に伝わらなければコミュニケーションは成立しない。


無数の誠実さ


自分の目線だけでは伝わるはずのものも聞き入れられない。
自分の行為を他者が理解できるか?
その行為を自分が受け入れられるか?

他人に対して自分の本当の気持ちを伝える。
相手を思いやるような誠実な気持ちは、
どのようにすれば違うことなく伝えられるのだろう?
それは人間にとって永遠の課題でもある。

無条件に人を許す。
ということは人を愛することにも通じる。
であるならば恋愛と変わらないのかもしれない。
恋愛は人付き合いであり、人付き合いは恋愛である。

自分の想う人を大切にしたいという気持ち。
それを伝えること。
自分にできる最大限のことを形にすればいい。

バールにて


知人のイタリア人とバールに入る。
イタリア人に限らず、
どこの国でも男というものは女性の話が好きである。
彼もそんな典型的なオッサン。

ホントに簡素なバールで紙のカップに入ったコーヒーを提供される。
バールのカウンターにいるのはお世辞にも美人とは言えない若い女性。
彼女がカップを差し出そうとすると、コーヒーを少しこぼしてしまう。

当然のように彼女は償いの言葉とともに台拭きで拭こうとするが、
知人のオッサンは「気にするな」と言いながらコーヒーを一気に飲み干し、
近くにあったペーパーナプキンでテーブルを拭き、
カップごとゴミ箱に捨て去ってしまったのだ。

豪快さと優しさ。
他人のミスを気にしないどころか、
ぬぐい去ってしまうまでの思いやり。
何も考えていないようで相手に与える安心感。

水色の答え


何をすればいいのだろうか?
僕は迷った。
イタリア人相手だなんてことは関係のないこと。
本気であれば想いは伝わるはず。

僕は言葉ほどはかないものはないと思っている。
それは最も人に伝えやすいツールではあるが、
それと同時に最も人の心を響かせにくいツールでもある。
ただ単に「撮りたい」と闇雲に言ってしまうのは、
当然わかりやすいことだし、答えははっきりとしている。

しかし人の心はどうなっている?
白か黒か。
答えはそれだけではない。

忍耐強く心が解かれるのを待つこと。
それも一つの方法だが、それは問題ではない。
物理的な条件が関係を締めつける。

光や風が教えてくれた自然


僕はボッカダッセの村の脇から連なっている、
小さな山道を一人歩いていた。
海が見えるのに波の音は聞こえてこない。
波間に反射する太陽の光が照り返す。
山を見下ろすあたりに出ると優しく風が吹きつける。

例えば自分が心を動かされるような出来事はなんだろうか?
いったい自分はどれだけそういった人々と、
素敵な人間関係を築いてきたのだろうか?
そんなことを考えて、ドツボにハマってしまっている自分がいた。
自分がいままで生きてきたものを試されているようにも思えた。

人のことなど何一つわかってもいないのに、
自分が見てきたものに振り回されて、
わかったような自分を演じていたのかも知れない。

「漁師は強い生き物」
「職人は自分にはないこだわりがある」
などと決めつけていなかっただろうか?

樹海で足を取られている僕から、
緑を拭い去り忘れさせてくれる。
あやまちを認め、違いをわかり受け止めくれる。
そんな原体験や救いにも似たことを求め、
彼らを型にはめて勝手に思い描いていただけかもしれない。

自分がたくさん受けてきた感動を人に返していけばいい。
そんな単純であっさりとしたことが答えだったはず。

好きな人のためにすることとはどんなことだろうか?
そんな瞬間はどんな人であろうと、
いろいろと想いを巡らすことだろう。
自分が相手にどれだけのことをしたかなんていうのは関係ない。
自分も相手もいかにして笑顔にすることができるか?
人の喜びを考えている。

どうしたらいい関係になれるのだろうか?

力んだ末の脱力感


気がつくと漁師の家の前にいた。
部屋からもれる明かりが見えないかとのぞき込む。
魚を整理している音が聞こえないかと耳をそばだてる。
カメラを持ち、構える自分。
時は過ぎ去っていくばかり。

家の前に見える数字。
刻まれた通りの名前。
たてかけられた郵便受け。
カバンから取り出したノートを破り取った。

これを最後の賭けにしてみよう。
想いは直球。
それが空振りだとしても彼らに対しての想いも、
この土地の美しさに対する想いも変わらない。
漁師に宛てて手紙を書いてみた。

それは大したことではないが、
きっかけにできる大切な行為のはず。
下から軽くトスしたボールの方が、
人は受け取りやすい。

わかりたい、
わかってあげたい、
なんていうそんなものは、
誰も見たくも聞きたくも言いたくもない。

言い換えればそれは共同幻想の落とし物。
狙えば狙うほどすり抜けていく。

ふとしたきっかけ


背中に聞こえる波の音。
光る太陽の下にちりばめられた人々の素顔。
シッポをブルブル振り回して、
ジェラートをほおばるおばちゃんに必死にすがりつく犬。

あまりにもあたりまえすぎる風景に心ひかれ、
持っていたカメラをまわしていた。
おばさんのこわばっていた顔も優しくなっていた。

犬とジェラート。
それさえあれば誰もが子供でいられる。




この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。

ラッシュ - Boccadasse 3

マトリモニオ - Boccadasse 4

本能のままに - Boccadasse 5




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